西郷徳利:鹿児島めぐりの旅一覧

2018/05/21 00:00 #012 鹿児島市・多賀山公園と東郷平八郎
西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅

お久しぶりの『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第12回は、鹿児島市清水町、東郷平八郎の銅像がある多賀山公園を訪れました。

東郷平八郎像
よかにせとしても名を馳せた東郷元帥!



東郷平八郎といえば・・・

東郷平八郎といえば日露戦争日本海海戦で連合艦隊司令長官として指揮を執り、ロシアバルチック艦隊を撃破した英雄。
日本だけでなく、世界中から尊敬を集めた軍人です。

日露戦争

日露戦争時、東郷は海軍大将
1905年、露バルチック艦隊発見の一方を受け、連合艦隊を率いて日本海で迎撃します。

東郷は大本営に「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」(敵を倒しにいってきます!)と打電。

自らが乗る旗艦「三笠」のマストにZ旗(国際信号旗のひとつ)を「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」(俺たちにかかってるぞ!)との意味を込めて掲げ、味方を鼓舞したといわれています。

国際信号旗Z旗
こちらがZ信号旗


東郷は敵前で艦を回頭するなど大胆な戦術を見せ、見事に露バルチック艦隊から勝利を収めました。
これによって日本海軍ではZ旗が特別な意味を持つようになり、大規模な海戦では旗艦に掲げられるようになります。

日本海海戦のあと、東郷はロシアを破った英雄として世界中から称賛されました。
1926年には、日本人で初めて米「TIME」誌の表紙を飾ります。
この時、東郷は78歳。階級は元帥になっていました。

東郷平八郎元帥
老いてもよかにせやっど!


そんな推しも押されぬ英雄である東郷平八郎ですが、西郷・大久保らと同じ薩摩藩の下加治屋方限(ほうぎり)出身者です。



下加治屋町ご近所パワー炸裂

薩摩藩では郷中教育というご近所複式学級があったというお話を第1回の西郷徳利でしましたが、またもやこの地図の出番です。
歴史上の人物だらけ!薩摩藩が誇る下加治屋方限(ほうぎり)です。

下加治屋町



東郷平八郎誕生の地は、現在の鹿児島中央高校の一角にあります。



鹿児島中央高校は、上にある下加治屋町方限地図でいう「3」から右の当たりなので、敷地の周りには「二本松馬場(にほんまっばあ)」という通りも確認できました。

二本松馬場


こういった確認できる歴史も楽しいですね。
中央高校の敷地を一周すると、他にも村田新八・井上良馨・篠原国幹らの史跡に出会えます。

村田新八誕生の地 井上良馨誕生の地 篠原国幹誕生の地

下鍛冶屋方限だけでなく、となりの方限もすごいですね。
中央高校の正門からは、道路を挟んで西郷徳利の旅・初回で紹介した大山巌の生誕地石碑が見えます。

大山巌誕生の地

ちょうど観光客の団体さんが移動して来られて人だかりができました。
うれしい光景ですね。




ひとくちに明治維新で活躍した人といっても・・・

西郷・大久保を輩出した下加治屋方限ですが、実際のところ東郷平八郎と西郷・大久保の郷中教育での交わりは少なかったようです。
というのも、東郷と西郷との年齢差は20歳、大久保とは18歳差です。

薩摩藩・郷中教育のグループ分け
小稚児(こちご・6-10歳)
長稚児(おせちご・11-15歳)
二才(にせ・15-25歳)
長老(おせんし・妻帯した先輩)


東郷が郷中教育を受け始める年齢(6歳・1854年)のころ、西郷たちはすでに長老(おせんし)で年少者の面倒をみるよりは職について家族を養う身分。
西郷は斉彬に従って江戸へ上っており、大久保は高崎くずれの謹慎が解かれ薩摩藩記録役に復職しています。

どちらかというと、西郷の弟・信吾(従道)が東郷の5歳上大山弥助(巌)が東郷の6歳上と年が近く、下加治屋郷中で面倒をよく見ていたのは恐らくこの2人でしょう。
東郷と同じグループには、信吾(従道)の4つ下の弟・小兵衛もいたはずです。

そして、ほとんど帰藩することなく月照と入水・島流しに合っていた西郷よりは、在藩していた大久保のほうが東郷に目をかけていたはずです。
後に留学を目指したとき、東郷は最初に大久保に相談しています。

初陣は14歳で、なんと薩英戦争です。

薩英戦争では、大久保利通は天保山砲台で指揮を執り、イギリス戦艦に向かって一番最初に発砲!
若い大久保は意外と血の気が多そうですね(笑)
寺田屋事件・謹慎明けの西郷信吾(従道)大山弥助(巌)は、海江田信義(有村俊斎)らとスイカ売りに扮して船で乗り付けて敵艦奪取する作戦で失敗(笑)
(スイカ売り作戦は精忠組主導だったようです)

東郷はというと、鶴丸城の二の丸を警護していたようです。

のちに「陸の大山(巌)、海の東郷」と呼ばれる二人が陸・海が逆なのも面白いですが、通り向かいで誕生するのも出来すぎた偶然ですね。




のちの海軍元帥はホントは鉄道を作りたかった?

そんな東郷平八郎、明治維新後は軍人になる気はなく、鉄道技師を目指してイギリス留学したかったようです。
鉄道に興味があったとは驚きですが、最終的に日本の海軍力のためイギリスの船の学校に留学しました。

若き日の東郷



東郷の留学は「官費留学」で、明治政府が送り出します。
留学期間は長く約7年に及びました。1871年から1878年のことです。
その間に、西南戦争で西郷が自害(1877年)、帰国の年には大久保が紀尾井坂の変(1878年)で倒れました。

留学中の西南戦争について「自分が日本にいたら西郷の下に行っただろう」と言っていたようです。
事実、東郷の実の兄・東郷実猗小倉壮九郎の二人は西南戦争へ参戦し、城山で自決しています。

同じ郷中で志ともに育ってきたのですから、西郷の役に立ちたいという気持ちはとても強かったことだと思います。

大先輩と兄弟の死を悼みながらも、その後は自分の役目を見失わず、日本の海軍力向上に努め順調に出世していきました。


と、せっかくお久しぶりの西郷徳利ですが、東郷平八郎のお話は書きたいことのボリュームが多すぎて

「次回へ続く!」

です(ゴメンナサイ)
前・後編でお届けしたいと思います。

よかにせ元帥のお話をお楽しみに。




■次回 … #013 多賀山公園と東郷平八郎・後編



■多賀山公園

・鹿児島県鹿児島市清水町

コメント
2018/03/20 10:16 #011 知覧町・武家屋敷群
西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅
『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第11回は、南九州市知覧町の武家屋敷を訪れました。

知覧町武家屋敷近くのファミリーマート
知覧のファミマは武家屋敷仕様!



薩摩藩と外城制度

武家屋敷群は、薩摩藩が江戸時代から行っていた外城制度の中でできた士族の集落です。
薩摩藩では、鶴丸城にいる島津本家を中心に各地に領主を置き、領主のお屋敷の周りに麓(ふもと)と呼ばれる士族の武家集落を作りました。

これは広い領土の各地に領主(城)+武士(麓)という定住域を形成してもらって武士の一極集中を防ぎ、藩土全体に軍事ネットワークを作るためでした。

お殿様を増やすとして、家来である武士がいなければ"自称・殿様"になってしまいますが、薩摩藩の武士の割合はなんと人口比25%以上!
他藩がその頃3〜5%が平均なので、圧倒的に武士だらけの藩でした。
そういった背景もあり、外城制度がうまくいく土壌があったのでしょう。

知覧町武家屋敷

武家屋敷は城(領主の屋敷)の周りに造られ、要塞のような役割も果たしています。

実際に行ってみるとよくわかりますが、通りの先がどうなっているか分からない。
垣根で家の入り口もよく見えない。


知覧町・武家屋敷

門の前に立っても中がよく見えない。

知覧町・武家屋敷

という軍事仕様のお屋敷でした。

知覧武家屋敷群には庭に入れるお屋敷が7つほどありますが、すべてのお屋敷がこんな風に「外から来る人に中が見えにくい」造りになっています。

武家屋敷

これは守りやすく、攻めやすい、武家屋敷独特の造りみたいです。
先ほどの写真で「垣根でよく見えない」と紹介しましたが、垣根の内側から通りの敵を狙っていたという話も。

武家屋敷

反対(屋敷内)から見たらこんな感じ。
敵が見えても手前の塀が防壁になる上にサッと隠れることができます。

優雅な感じを想像していましたが、武家屋敷は「要塞都市」でした。



観光客に大人気

取材日は晴れていたこともあり、平日でも大勢の観光客が訪れていました。
西郷徳利も、中国人ガイドさんに「お酒?お酒持ってるねー!!」と話しかけられたり(笑)

知覧武家屋敷・西郷どんロケ地

ちなみに知覧武家屋敷群では、大河ドラマ「西郷どん」のロケが行われたそうで、西郷徳利も同じ場所で写真を撮って見ました!
いかがでしょうか。
意外とシンクロできてますか?

観光できる屋敷は庭までしか入れないのですが、皆さん立ち寄って楽しんでおられました。
西郷徳利もお庭を沢山拝見しました。

知覧町・武家屋敷

知覧町・武家屋敷

知覧町・武家屋敷

知覧町・武家屋敷

庭ごとにテーマがあったりして面白いですよ。
それぞれの武家屋敷は、案内板で当時の家主さんの名前がわかるようになっています。
佐多さんやら西郷さんやら、聞いたことのある苗字のお屋敷もあります。
ぜひ探してみてください。


知覧町・武家屋敷

中でも西郷恵一郎邸は見どころあったのでご紹介を!したいと思います。

知覧町・武家屋敷

まずは他のお屋敷と同じ、中の見えない門をくぐります。
庭を拝見しようと角を曲がると、デデーン!と鹿児島県の観光キャラクター・西郷どんがお出迎え!
せっかくの庭も霞むほど目立っていました(笑)

知覧町・武家屋敷

しかも「ようこそ!西郷邸へ」の特別仕様。
これは小正醸造の西郷徳利も負けていられません。頑張りました。

知覧町・武家屋敷

西郷徳利 in 西郷どん
いい取材になりました!

ちなみに西郷邸では3月ということもあり、屋敷内に雛人形が飾られていて壮観でした。

知覧武家屋敷

知覧は全国有数のお茶の産地

知覧町の特産といえばお茶です!
お茶関連の美味しいものを探していると、なんと武家屋敷群にお茶を練りこんだうどんを食べれるところがありました。

西郷徳利知覧町ランチ

ちらん郷土料理 高城さんにお邪魔しました!

武家屋敷・ランチ・高城

高城さんの建物は、昭和初期・今から約95年前の古民家です。
さすが鹿児島。「敬天愛人」が飾ってあります。

知覧町武家屋敷

高城さんは知覧の郷土料理を古民家でいただけるお店なのですが、とても風情のあるお店なので外国人観光客が多かったです。
ノスタルジックな店内にぽかぽか陽が当たって落ち着きます。

この日も西郷徳利以外は外国人で、ドイツと英語圏の方でした。
お店の方も慣れているのか、気さくに話しかけて会話が盛り上がっていました。

知覧町武家屋敷

知覧武家屋敷群

さて、西郷徳利が頼んだのは「茶うどん」
うどんの生地に知覧町特産のお茶を練りこんであります。

知覧武家屋敷群

うどんがお茶の色です。

知覧町武家屋敷群ランチ

お味は、お茶の味はしたかしなかったかよく分からなかったのですが、細うどんで美味しく食べやすく、何より雰囲気も含めてくつろげました。
また行きたいなー。

茶うどん

お茶は知覧茶を出してくれるのですが、濃いのに苦くなくてとても美味しかったです。
ごちそうさまでした。



■次回 … #012 多賀山公園と東郷平八郎



■知覧武家屋敷

・鹿児島県南九州市知覧町郡6191

コメント
2018/03/13 00:00 #010 薩摩藩・砲台跡めぐり
西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅
『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第10回は、鹿児島市の砲台跡を巡ってきました。

薩英戦争絵巻



生麦事件と薩英戦争

現代でも歴史の教科書に載っている『生麦事件』。
外国人が馬に乗ったまま大名行列を突っ切ろうとして、「無礼である」と怒った藩士に斬られ、1名が死亡、2名が重傷を負った事件です。

この事件に出てくる大名その人が、薩摩藩国父・島津久光であり、相手側の外国人はイギリス人でした。
行列には、大久保利通・海江田信義(有村俊斎)・松方正義・小松清廉(帯刀)など、幕末・明治に活躍する薩摩藩士もいたようです。

最初に斬りかかったのは、寺田屋事件でも久光公の特命を受けていた奈良原喜左衛門。
止めを刺したのは有村三兄弟の長男・海江田信義(有村俊斎)と言われています。

2人とも薩摩藩の古流剣術である薬丸自顕流を学んでおり、特に奈良原は達人と呼ばれていました。

奈良原は馬上の人間を、抜刀しながら飛び上がり「抜き」で斬ったといわれています。
桜田門外の変井伊直弼を討ち取ったのも、薬丸自顕流の使い手で海江田信義(有村俊斎)の2つ下の弟・有村次左衛門です。

何やら強くて怖そうな想像をしてしまいますが、奈良原と海江田は薩英戦争時「スイカ商人に扮して敵艦を奪おうとして失敗」するようなお茶目な一面も。



幕末当時の生麦村
幕末当時の生麦村・「図解 幕末・維新」成美堂出版より



生麦事件が起こったのは1862年。
日本は当時、ペリー提督・黒船来航で1858年に開国済み。
外国人を受け入れていましたが、まだ武士の世界であり、事件のイギリス人は日本の社会に詳しくない観光客でした。

そもそも日本では、大名行列には道を譲るのが決まりであり、横切ったり行列を乱す行為は非常に無礼な行いとして「無礼討ち」も認められている時代。
久光公の行き(参勤)でも生麦事件と同じようなことがあり、その時は幕府に「外国人の不作法」について訴え穏便に済ませたようですが、帰り(交代)はそうもいかなかったようです。
大名の沽券に関わる上に、血気盛んな薩摩藩の大名行列です。無礼討ちになってもしょうがなかったのかなという気がします。

日本人にとっては道を譲って当然の大名行列も、外国人観光客にとっては「なんか人がいっぱい来た」だったのでしょう。


生麦事件のあと、久光はさっさと薩摩藩に帰ります。
幕府はイギリスからの犯人の差し出し要求や賠償金の支払い要請に苦労していましたが、久光は無視。

埒が明かないので直接交渉しようと錦江湾に船で到着したイギリス艦隊ですが、ここでも引かない薩摩藩、交渉決裂して薩英戦争に発展します。
1863年のことでした。

面白いことに、薩英戦争で薩摩藩が総動員体制をとったおかげで、寺田屋事件で謹慎していた西郷信吾(従道)大山弥助(巌)の謹慎が解かれます。
ここが近い未来につながってくるのです。



斉彬が将来を見据えて製造した大砲

前置きが長くなりましたが、この薩英戦争で活用されたのが、斉彬が製造した大砲です。

鉄製150ポンド砲
仙厳園にある「鉄製150ポンド砲」のレプリカ


1851年、斉彬は藩主となってから殖産興業に着手し、島津家別邸・仙厳園の横で集成館事業を始めました。
集成館では紡績・造船・製鉄が行われ、大砲を作るための反射炉も作られました。
仙厳園には今でも反射炉跡が残っています。

富国強兵・殖産興業を推し進める斉彬は、作った大砲を次々に配置します。

薩摩藩砲台

祇園之洲・弁天波止・新波止・南波止・大門口・天保山・袴腰・鳥島・赤水・沖小島と、錦江湾の両側から包囲するような配置です。
薩英戦争は斉彬が亡くなって5年後のことですが、まるでイギリス艦隊が攻めてくるのを予見していたかのようで凄いですね。

この大砲が薩英戦争で活用されたのですが、今は砲台跡として残っています。
石碑だけのところもありますが、祇園之洲・新波止・天保山砲台跡は、当時の様子がうかがえる素晴らしい史跡です。



広い!大きい!砲台跡

まずは祇園之洲砲台跡へ。
祇園之洲砲台跡は鹿児島市の北ふ頭近くにあります。

ここは1995年の8・6水害で移設された江戸時代からの石橋西南戦争の官軍戦没者慰霊塔があったりと、他にも見どころ満載で公園として整備されています。

祇園の洲公園

取材日も晴れていてとても気持ち良かったです。

猫と西郷徳利

移設された石橋を渡ったり猫とたわむれたり、公園を散策しながら進みます。

砲台跡は公園の奥のほうにありました。

祇園之洲砲台跡

ここが祇園之洲砲台跡の始まりです。
薩英戦争時の大砲を載せていた石垣がそのまま遺っています。

祇園之洲砲台跡

こんな感じで当時のまま。

祇園之洲砲台跡

祇園之洲砲台跡

石垣は公園の外周一辺以上ぐるっと長く続いていて、果たして何門くらいの大砲が置かれていたのでしょうか。
すぐ上の写真の矢印から矢印までが砲台跡なのですが、写真の手前、撮影者の背後にもずっと続いています。

祇園之洲砲台跡

こちらはパノラマ撮影。

祇園之洲砲台跡

砲台の案内板も薩英戦争について書かれていて一読の価値ありです。


お次は新波止砲台跡へ。
ここは砲台を作った時の地形がそのまま残されているところで、鹿児島市の北ふ頭にあります。

新波止砲台跡

西郷徳利の右手に見えているのは、桜島フェリーの発着所。

新波止砲台跡

画像にもある通り、海に面した石垣が、新波止砲台跡そのものなのです。
桜島フェリーに乗れば、全体を見渡せると思います。
ここもかなり広い!
かごしま水族館を囲むように、砲台跡を生かした開発が行われたようです。

新波止砲台跡

新波止砲台跡新波止砲台跡

新波止砲台跡

なんとなく当時の想像が膨らむ残し方です。

新波止砲台跡

ここにも生麦事件から薩英戦争まで詳しく書かれた案内版があります。



最後に、天保山砲台跡へ。

天保山砲台跡

天保山砲台跡は、鹿児島市の天保山公園にあります。
天保山は斉彬時代に藩士の訓練場があり、斉彬の御陣屋敷もありました。
1858年、上洛前の訓練中に天保山で倒れて亡くなります。

天保山砲台跡

天保山砲台跡

天保山砲台跡

天保山砲台跡は松林の中にあり、他の二つよりも昔の跡が残っていました。
ここも野球ができる公園を囲むくらい広くて大きい砲台です。


砲台跡はどれも海の近くで、強風にあおられつつの取材でした。
お腹もすいてきて温まるために天保山砲台跡近くのそば茶屋吹上庵さんへ!
そば茶屋さんは水車が目印の鹿児島でおなじみのお店です。

かなり寒かったので峠なべを注文。
峠なべは人気メニューで、この日は右も左も峠なべを頼んでいました。

そば茶屋

アツアツの鍋焼きうどんにエビ天・ちくわ・三つ葉・しいたけ・おもち2個・卵と、大満足のおいしさです。
そば茶屋さんは県内各地にありますので、探してみてください。



薩英戦争のその後

薩英戦争に話を戻すと、薩摩藩は戦死者こそ少なく死傷者63名のイギリス軍を撤退させたものの、被害が甚大でした。
市街地や弾薬庫などの軍事施設を破壊され、薩摩藩の十文字砲自在砲と、従来の10分の1の時間で装填できるイギリスのアームストロング砲に大きな差を実感したようです。

しかしここからが薩摩藩のおもしろいところで、イギリスとの和睦交渉の中で「軍艦購入」を取り付けます。
また、費用は幕府から借りて、返しませんでした。
和睦の条件にある犯人も「逃亡中」とシラを切って罰しませんでした。

そしてなぜか戦争相手だったイギリスと仲良くなり、1865年の薩摩藩英国留学生へとつながります。
薩英戦争のわずか2年後のことなので、歴史はおもしろいですね。


早川松山画・生麦事件
早川松山画・生麦事件




■次回 … #011 知覧町・武家屋敷



■薩英戦争砲台跡

・鹿児島県鹿児島市天保山町23−1

コメント
2018/03/06 00:00 #009 照国神社
西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅
『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第9回は、鹿児島市の照国神社へ行ってきました。

鹿児島市・照国神社



照国神社は島津家と密接な関係が!

鹿児島市にある照国神社は、鹿児島の中心街・天文館のすぐ近くにあり、鹿児島市民にはおなじみの慣れ親しまれた神社です。
祀られているのは、島津家第28代当主・島津斉彬。
大河ドラマで渡辺謙さん演じる、斉彬公がまさに祀られています。

照国神社・大鳥居

こちらは大鳥居。
かなり大きいので少し離れた場所から記念撮影。

場所は天文館から歩いて行ける距離、城山を背後に薩摩藩のお城だった鶴丸城跡の一角にあり、島津家との縁の深さが分かります。
ちなみに照国神社の宮司さんは、島津家第32代当主・島津修久さんが務めておられます。

この照国神社、もともとは南泉院というお寺でした。
鶴丸城が1601年に島津忠恒(家久)によって築城開始され、その後1710年、第21代当主・島津吉貴によってお城の並びに南泉院が創建されました。
歴史の中では、この南泉院の子院である吉祥院に税所篤の兄・乗願がいて、島津久光に囲碁を通じて大久保利通を紹介したりします。

藩内有数の大寺院として親しまれた南泉院ですが、明治維新後の廃仏毀釈によって破壊されてしまいました。
薩摩藩は廃仏毀釈が激しかったらしく、鹿児島県内の多くのお寺がなくなりその場所が神社に姿を変えています。



照国神社は鹿児島市民おなじみの神社

照国神社には、初詣やお宮参り・七五三などの年中行事で多くの鹿児島市民が訪れます。

中でも、鹿児島独特のお祭りで「六月灯」というものがあるのですが、照国神社の六月灯は規模も大きく毎年賑わいます。
旧暦で行われるので、七月開催ですが"六月灯"です。笑

では、さっそくお詣りします!


照国神社・石灯篭

石灯籠も島津家仕様ですよ!

照国神社・斉鶴

大鳥居をくぐると、立派な盆栽?が見えてきます。
「斉鶴」というそうで、確かに鶴が翼を広げているようにも見えます。
小正醸造も鶴マークなので鶴繋がりが!

奥の山は城山、山の上に見える建物は城山観光ホテルです。
城山は西郷隆盛が最期を迎えた場所で、周辺は西南戦争の史跡がたくさんあります。

照国神社・神門

手水をして神門をくぐります。

照国神社・本殿

こちらが照国神社の本殿。
大きな神社ですが、慣れ親しんだ安心感があります。

さて、お詣りを済ませた西郷徳利が向かうところといえば社務所!
今回も御朱印をいただけました。
ありがとうございます!

照国神社・御朱印



3人の島津さん

歴史好きな方は、照国神社に来たらお詣りだけではもったいない。
本殿向かって右に進んでみてください。

照国神社の御祭神である島津斉彬公の大きな像が現れます!

島津斉彬像

西郷・心の師匠・・・。

島津斉彬像・戊辰戦争碑

その隣には薩摩藩から戊辰戦争に従軍した兵士の顕彰碑があります。

戊辰戦争顕彰碑

戊辰戦争は明治維新の年に起こった、新政府軍(西郷たち)と旧幕府軍(徳川慶喜側)との内戦です。
この戦争で西郷は新政府軍の指揮を執り、活躍しました。

斉彬公の像からさらに右手に行くと、今度は斉彬の弟・久光公の像が現れます。

久光像と西郷

久光公は斉彬の腹違いの弟。
お母さんはお由羅さんで、薩摩藩を内分したお由羅騒動のその人です。
大河ドラマでは小柳ルミ子さんが演じていますね。

久光の母・お由羅は次の藩主を久光にしようとして騒動になりましたが、斉彬と久光は互いに仲の良い兄弟だったようです。
久光は兄を尊敬していたし、兄の遺言に従って子の忠義が藩を継ぎ、自分は藩主にも当主にもならず国父という立場に収まっています。
(ただし権力は保持!笑)

それでもお互いが大嫌いだった西郷と久光。
実質的な藩の最高権力者の命を、西郷は何度も無視します。笑


久光像からさらに道路のほうへ下ると、今度は島津忠義像が現れます。

島津忠義像

前の2人と違い、洋装で大鳥居の方角を向いています。


照国神社

照国神社は、薩摩藩最後の3人の島津さんが見守っています。
お詣りに来たらちょっとだけ遠回りしてみてください。

忠義像がある公園の看板で、南泉院があったころの地図も確認できますよ!

昔の地図・鶴丸城南泉院



■次回 … #010 薩摩藩・砲台跡めぐり



■照国神社

・鹿児島県鹿児島市照国町19−35

コメント
2018/02/26 08:40 #008 番外編:タイの旅

西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅
『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第8回はなんと番外編! 西郷徳利はタイへ行ってまいりました。

西郷徳利タイへ行く



寺院や遺跡が盛りだくさん

今回、西郷徳利は日本から直線距離にして約4314kmのタイへ。
こんなに旅している徳利はなかなかないですよ!

まず、タイと聞いて連想するのが寺院遺跡ではないでしょうか。
亜熱帯の植物の中に幻のように浮かぶ遺跡のシルエットは幻想的です。

タイに行った際には必ず訪れる「ワット・ポー涅槃像」その黄金色の輝きと圧倒的な大きさに感動します。

ワット・ポー涅槃像

ワット・ポー涅槃像

涅槃仏とは、釈迦が悟りを開き、涅槃へと旅立つ前の姿を表現したものと言われています。
涅槃仏を拝観する際には、頭部から足(全身)、そして足裏、背後という順路で回って行きます。
天井の模様や壁画も見どころ満載です。


次に訪れたのが、映画「戦場にかける橋」で有名になった「カンチャナブリー」

タイ・戦場に架ける橋

タイ・戦場に架ける橋

クウェー・ヤイ川に架かる全長250メートルのクウェー川鉄橋は、日本軍が敷設した泰緬鉄道が通る橋。
映画「戦場に架ける橋」の舞台になったことでもよく知られています。


ワット・ワイ・チャイ・モンコン

ワット・ワイ・チャイ・モンコンは、1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院です。
たくさんの仏像に溶け込むように並んでみました。
ちょっとだけ悟りが開けたような気が・・・


ワット・マハタート、以前日本のテレビ番組で紹介され一躍有名になった場所です。

 ワット・マハタート

かつては塔の頂上が黄金に輝いていた寺院などもビルマ軍の侵略により廃墟と化し、今は木の根の間に埋もれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっています。


最後に訪れたのがワット・プラシー・サンセットです。

ワット・プラシー・サンセット

アユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院です。
寺院のシンボルは、東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王(1448〜1488年)とその王子らの遺骨が納められていたと言われています。



魅惑の国タイ!短い時間ではありましたが、満喫することができました。
料理もスパイシーで個性にあふれています。

タイ料理


訪れる際には、ぜひ遺跡巡り、グルメ巡りを楽しんでください。


番外編ということで、西郷徳利は鹿児島ラーメン王選手権にも行ってまいりました!

鹿児島ラーメン王選手権・西郷徳利

鹿児島ラーメン王選手権・西郷徳利

第4回目となる今回は18店舗が参戦して鹿児島ラーメン王を争いました。

鹿児島ラーメン王選手権・西郷徳利

会場は物凄い人手。大盛況ですね。
3日間で約16万人が来場したそうです!

鹿児島ラーメン王選手権・西郷徳利

今回、1位に輝いたのは鹿児島市山田町にある「五郎家」さん。
おめでとうございます!

美味しいラーメンを求めて、いろんなラーメン屋さんに行ってみたいものですね。


■次回 … #009 照国神社



■タイ王国

https://www.thailandtravel.or.jp/

コメント
2018/02/19 15:24 #007 篤姫ゆかりの地
西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅
『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第7回は、指宿市にある篤姫ゆかりの地・今和泉島津家跡へ行ってきました。

天璋院篤姫像/西郷隆盛



篤姫は今和泉島津家の出身!

2008年の大河ドラマの主役だった「篤姫」は今和泉島津家という薩摩藩・島津家一門の出身です。
薩摩藩には鶴丸城を居城としていた藩主の島津家と、篤姫の生まれた今和泉島津家、重富島津家、玉里島津家などの分家があり、篤姫は今和泉島津家から本家・斉彬の養女になり、その後さらに近衛忠煕の養女となって第13代将軍・徳川家定に嫁ぎました。

昔の家系はなかなか複雑・・・養女になる前は一(かつ)姫だったようです。
かわいらしい名前ですよね。
(「西郷どん」では於一(おかつ)という名前)

今回訪れたのは、篤姫の祖先である今和泉島津家の別邸跡です。
(篤姫が生まれたのは鹿児島市内なんですよ!)



天気がよければドライブが楽しい

今和泉島津家屋敷跡は、鹿児島市から海沿いの国道を南に下ります。
この道は海が近くて晴れていたらドライブに最適。
おすすめです。

大河ドラマの影響もあって、篤姫ゆかりの地は観光地化されています。
広い駐車場があって車も停めやすく楽ちんですよ。

篤姫ゆかりの地看板

駐車場には散策コースのマップもあるのでご参考に。
すべてを回ると結構な距離と時間がかかります。

西郷徳利は40分の海辺散策コースを選びました。

篤姫ゆかりの地、西郷徳利

では行ってみます!


道案内に従って進むと、まずは民家が立ち並ぶ細道を進みます。
2月初旬の取材でこの日は比較的暖かかったのですが、あちこちの民家の軒先に梅が咲いていてとても綺麗でした。

西郷徳利うぐいす桜

ちなみにこの写真。
よーく見ると西郷徳利の頭の上くらいの枝に、メジロがいます!
撮影時には気づかなかったのですが、こういうのって嬉しいですよねー。


しばらく細道を歩くと、今度は海沿いの松林に出ます。
きれいで気持ちのいい道でした。

今和泉島津家跡

風景を楽しみつつ歩いていくと現われるのが、幼少の篤姫像です。

幼少の篤姫像

西郷徳利も一緒にパシャリ。

大河ドラマ「西郷どん」では隆盛と篤姫が恋愛関係になるという話もあり。
前回の小松帯刀といい、篤姫モテすぎです・・・。


松林を抜けると、今和泉島津家手水鉢のところがちょっとした休憩所になっています。

篤姫ゆかりの地西郷どん

ここまでくると海辺散策コースは折り返しです。

肝心の今和泉島津家別邸跡ですが・・・・・

今歩いてきた松林を振り返ると、実はずっと古い塀が続いているのがわかります。

今和泉島津家別邸跡

今和泉島津家別邸跡

別邸そのものは今は今和泉小学校になっていて、それを囲むように塀が残っていました。
この塀の長さから考えてもかなり大きな別邸だったのだと思われます。

しかも砂浜に向かって階段もあったりして、別邸はプライベートビーチ付き!
分家といえど、島津家さすがです。
ここで昔の人たちがどんな風に過ごしていたのか、なんとなく目に浮かぶような気がしました。



お昼ごはんは古民家で

さて、今回は散策中に素敵なお店を見つけたので入ることにしました。
古民家で昼ごはん梅里さんです。

古民家で昼ごはん梅郷

雰囲気のある佇まい。
篤姫ゆかりの地・散策コースの途中にあるので、すぐ気づくと思います。
通りかかった際も人がどんどん入っていたので人気のお店だと思われます!
西郷徳利が立ち寄った時も満席でした。

民家で昼ごはん梅里

待ち時間も庭に咲く満開の梅を見ながら過ごしました。
梅里さんの名前にふさわしい時期に行けたようです。

お店の名前の通り、古民家を利用した店内となっていて、中はノスタルジックな和風といった感じで落ち着きます。
ちょうど庭の見える席に案内されました。

民家でお昼ごはん梅里

しばらくすると湯気を立てた土鍋が!
梅里さんでは土鍋でご飯を炊いているそうで、この土鍋1個が西郷徳利の席用です。
ぜいたくですね!

民家でお昼ご飯梅里

お料理を待っている間に、この土鍋ご飯が程よく蒸されるそうです。

お昼ごはん篤姫ゆかりの地

そして!やってきましたお料理が!
色鮮やかで美味しそうです!
篤姫ゆかりの地今和泉島津家

小鉢にかわいらしく盛り付けられていますが、お刺身あり天ぷらあり豪華です。

民家で昼ごはん梅里ランチ

お料理がとても丁寧に盛り付けられていて、感動しました。
土鍋でグツグツいっていたご飯も、艶々に炊きあがっていておーいーしーーーい!
まさに「炊き立て」を独り占めです!
とても美味しかったです。完食!
なんとなくほっとするようなお料理でした。

梅里さんでは、土鍋ごはんが残ったらおにぎりにしてお持ち帰りもできるようですよ。
嬉しいですね。
篤姫ゆかりの地にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

古民家


■次回 … #008 番外編・西郷徳利、タイへ行く



■篤姫ゆかりの地

・鹿児島県指宿市岩本2976

コメント
2018/02/10 09:13 #006 蒲生・日本一の大楠

西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅


『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第6回は、姶良市・蒲生にある蒲生八幡神社日本一の大楠を見に行ってきました。

西郷徳利蒲生八幡神社へ



樹齢1500年!

鹿児島にある日本一の大楠は、姶良市蒲生町にある蒲生八幡神社にあります。
姶良市は鹿児島市のお隣なので、鹿児島市から車で向かう場合は、国道10号線を北へ向かいます。

まずは神社の手前にある観光交流センターで、大楠についておさらいしました。

蒲生観光交流センター

なんと、蒲生の大楠は約1500歳!
生まれたのは日本が古墳時代。・・・「古墳時代」、久しぶりに聞きました。

大楠は国の天然記念物で、昭和63年の環境庁による巨樹・巨木調査で日本一大きい巨樹だと分かったそうです。

観光交流センターにはサイズも書いてありましたので参考に。

日本一の大楠

数字だけ見てもよくわからないので、いざ蒲生八幡神社へ!



日本一の大楠はさすがの迫力!

蒲生八幡神社

蒲生八幡神社も、大楠に負けず劣らず900年近い歴史を誇る神社です。
春には参道の桜並木がとてもきれいで、桜の名所としても有名。

蒲生八幡神社・巨木

こちらは神社の入り口。
ここにも巨木がありまして、一瞬これかな?と思ってしまいましたが違いました。
日本一の大楠は本殿の左側にあります!

蒲生八幡神社・西郷徳利

この写真の時点で左側から大楠がオーラを放っていましたが、西郷徳利、まずはしっかりお詣りです。

この日は平日で、観光客はちらほら。どちらかというと地元の方が多かったのですが、西郷徳利を見かけて地元の方が声をかけてくださいました。

「同じような徳利がうちにもある!」とのこと。
おお!これは嬉しいと詳しくお話を聞いてみると「似ているけど違う。犬がいない」・・・他社さんの徳利でした(笑)
「ツンがいてこっちもかわいいですよ!」と宣伝させていただきました。

ご夫婦でお詣りにいらっしゃっていたのですが「大河ドラマを毎週涙しながら見てるわよ」とのこと。
大河ドラマ出演者の皆さん!鹿児島に皆さんの演技伝わってますよ!

無事お詣りを済ませて大楠を間近で見てみました。

日本一の大楠

間近で見ると大きさと迫力に圧倒されます!本当に大きい!
そして画面に収まらない!(笑)

日本一の大楠

さすが日本一。スマホのレンズでは収まりきらない大きさです。
それでも何とか西郷徳利とのツーショットを撮影しました。

日本一の大楠・蒲生八幡神社

日本一の大楠・蒲生八幡神社

日本一の大楠・蒲生八幡神社

3枚目は大楠全体を画面に収めようとだいぶ離れた位置から撮影しました。
実際に見てみないとこの大きさは分からないかもしれませんね。

無事撮影を終え、御朱印をいただきに社務所へ。
御朱印を待っている間、巫女さんのおススメもあって社務所の2階からも大楠を撮らせていただけました!

蒲生八幡神社・日本一の大クス

蒲生八幡神社・日本一の大クス

蒲生八幡神社・日本一の大クス

社務所から撮るとまた違った迫力。
道路を挟んでこちら側の屋根のほうまで枝が伸びているので、手を伸ばせば触れそうでした。

蒲生八幡神社・宝物堂

社務所は宝物堂にもなっていて、かなり古い時代の銅鏡・能楽の面が見られました。
昔は薪能をやったのかもしれませんね。
西郷徳利も巫女さんに逆撮影され(笑)楽しい待ち時間となりました。

御朱印・蒲生八幡神社

ありがとうございました。



姶良に来たからには「あいらアゴ肉」

姶良で有名なグルメといえば「アゴ肉」です。
豚の顔周りのお肉で、昔から地元で食されていたそう。

今回はごて焼き(ローストチキン)でも有名な肉の田中屋さんに行きました。

肉の田中屋・あいらアゴ肉・田中精肉店

あいらアゴ肉

ここのアゴ肉は味付けあしてあり、500gと1kgで販売。西郷徳利は500gを購入しました。
野菜とさっと炒めるだけで簡単!美味しくいただけます。

あいらアゴ肉・西郷徳利

さっそく知り合いのマスターに調理していただきました!

白猿炭酸割・西郷徳利・アゴ肉

完成! 今回は白猿スリムボトルの炭酸割りと一緒にいただきます。
白猿は小正醸造の焼酎です。ワイン酵母仕込みで飲みやすく香りがさわやかですよ!
通販での購入はコチラ

西郷徳利グルメ

アゴ肉のお味は・・・・ウマいっ!
お肉が噛み応えもあって美味しい!味付けもばっちりで野菜もたくさん食べられそうです。
白猿炭酸割りもグビグビ進みます。

写真の鉄板の量で半分の250g使用したそうなので、500gあれば結構お腹いっぱいになりますよ!
アゴ肉は観光サイトなどでも紹介されているので、姶良にお越しの際はぜひ食べてみてください。
・鹿児島県観光サイト あいらアゴ肉



■次回 … #007 指宿・篤姫ゆかりの地



■蒲生八幡神社

・鹿児島県姶良市蒲生町上久徳2259-1
http://www.kamou80000.com/

コメント
2018/02/01 13:35 #005 桜島・黒神埋没鳥居

西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅


『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
第5回は、桜島・大正大噴火で埋もれてしまった黒神埋没鳥居を見に行ってきました。


桜島は「島」だった

突然ですが、西郷隆盛や大久保利通が生きていたころは桜島は文字通り「島」だったことをご存知ですか?

歌川広重「大隅・桜島」
歌川広重 『六十余州名所図会 大隅 さくらしま』 1853年


歌川広重が見た時も「島」でした。

現在のように桜島が大隅半島と陸続きになったのは大正3年1月12日(1914年)の大正大噴火からです。
実は100年と少し前の最近の地形変化なんですね。
大正大噴火では大規模な噴火活動が1ヶ月にも渡ったそうで、この時流れ出した溶岩流で桜島と大隅半島が陸続きになりました。

桜島は活発な火山で本当に頻繁に噴火します。
他県からみると不思議でも県民にとっては「噴火しているのが普通」です。
個人的には噴火しなくなるほうが不安を感じます・・・

数年前にちょっとした噴火が全国ニュースで取り上げられて、それに対する鹿児島県民の落ち着きぶりが話題になったことがありましたが、桜島の平均噴火警戒レベルは3
「火口から居住地域近くまで入山規制」されているのが普通です。
被害が及ぶところに人はいないので、頻繁に噴火しても安心して「いつものこと」と受け止められているんですね。

どちらかというと鹿児島県民が気にするのは噴火後の降灰です。
降灰地域は風向きで変わるのですが、こちらは地味に被害があります。
・洗濯物が干せない
・窓を開けていた場合は室内が灰だらけに
・洗車が必要になる
・コンタクトがゴロゴロする
など、被害としては面倒くさいで終わるレベルです。

鹿児島克灰袋


ですが、やはり県外から来られる方にとって火山の噴火は珍しい光景ですよね。
噴煙に驚愕している観光客を見ると何となく誇らしい気分になってしまいますが、鹿児島県民がのんびりそんなことを考えていられるのは過去の噴火で得た教訓があってこそ。

過去の大規模噴火では、たくさんの犠牲がありました。
今では噴火で被害が及ぶところには人の立ち入りが規制されている上に、島中に分厚いコンクリート製の退避壕が設置されています。
桜島からの避難を想定した、フェリー・陸路などの総合防災訓練も毎年行われているようです。

黒神埋没鳥居も、過去から現代へのメッセージとして当時の姿を今に伝えている場所です。



災害の記憶を語る

黒神埋没鳥居は、桜島の東側・鹿児島市黒神町にあります。
フェリーで渡った場合は到着してからグルーっと桜島を半周します。
鳥居は黒神中学校敷地のお隣にあり、周辺に駐車場があるのでマイカーでも行けますよ!

西郷徳利の旅桜島・黒神埋没鳥居


黒神埋没鳥居は、もともと桜島の黒神地区にあった腹五社(はらごしゃ)神社の鳥居です。
鳥居は大正噴火の際たった1日で火山灰と軽石に埋め尽くされ、3分の2が埋もれてしまいました。
住民は掘り起こそうとしましたが、村長の「後世に噴火の記憶を残そう」という決断で、そのまま現代まで残されることになりました。

実際の鳥居がこちら。

黒神埋没鳥居

黒神埋没鳥居

自分が立っている地面に、下からニョキっと鳥居が出ている感じです。
感覚では鳥居まで平たんに感じていたので、黒神町のこの一帯がすべて噴火で影響を受けたことがわかります。

黒神埋没鳥居

看板には当時の貴重な写真があり、屋根を残して埋没している黒神地区の民家も写っています。



奥まで行ってみましょう!

観光客の方、黒神埋没鳥居で満足して帰ってはいけません。
実は奥に腹五社神社があります。

黒神埋没神社・腹五社神社

実は当時の腹五社神社は噴火ですっかり埋もれてしまって、今あるものは埋もれた本殿の真上に建てられているそうです。
鳥居が顔を出していなかったらすべてが埋もれて、何があったのか分からなくなっていたかもしれません。
そのまま残したことは意味のあることだなと改めて思いました。

当時の様子についてもっと詳しく知りたい方は、市の観光看板とは別に隣接する黒神中学校の生徒さんの展示があります。
道路側から入って右手の小屋です。

黒神埋没神社・黒神中学校展示

鳥居や黒神地区、大正大噴火のかなり詳しい展示で、読み応えありますよ。



冬に美味しいのはカンパチだ!

桜島フェリーに乗ると分かりますが、桜島周辺はいけすだらけです。
実は錦江湾はカンパチとブリの養殖で日本最大の産地。
今が美味しいお魚を食べに行きます!

今回は垂水市・海潟漁港にあり垂水市漁業協同組合が運営する漁協食堂「味処桜勘(おうかん)」にお邪魔しました。

海潟漁港いけす
海潟漁港からすぐのところにもいけすがいっぱい!



味処桜勘おうかん

こちらが味処桜勘さん、漁港の端っこにありました。
看板にもあるように「冬の贈り物・極上カンパチ」がいただけるお店です。
食堂は2階にあり、海を見ながらお食事ができます。

頼んだのは一番人気のカンパチ海鮮丼定食

カンパチ海鮮定食

やはり一番人気だけあってボリューム満点。カンパチだけではありません。
色々な魚の海鮮丼と、カマの煮付けまでついております。

海鮮定食

西郷徳利も美味しそうでしょと言わんばかりです。

実際お魚も新鮮で海鮮丼が美味しい!
特にカマが美味しくて、骨からするっと身がはがれて食べやすかったです。

カンパチかま

西郷徳利は時間ギリギリに着きましたが快く対応してくださいました。
美味しかったです。こちそうさまでした。
味処桜勘さんについて詳しくはコチラ


今回の旅では歴史とグルメという西郷徳利の使命を果たせたかな?
次回は鹿児島にある日本一を訪ねます。
お楽しみに。


■次回 … #006 日本一の大楠



■黒神埋没神社

・鹿児島県鹿児島市黒神町647

コメント
2018/01/29 08:32 #004 雄川の滝

西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅


『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
今回は大河ドラマ「西郷どん」のオープニング映像でも使われている雄川の滝(おがわのたき)に行ってまいりました。

雄川の滝




綺麗な滝を見るには苦労も必要?

雄川の滝は大隅半島・南大隅町にある高さ46m、幅60mもある自然の滝です。
上流には九州電力の採水口があり、放流がある時は迫力ある水しぶきも見ることができます。

エメラルドブルーの澄んだ水が特徴的な雄川の滝ですが、鹿児島県民にとっては割と有名な滝です。
観光名所でもあり、デートスポットでもあります。

西郷徳利はイプシロンロケットの取材後に雄川の滝に寄ったのですが、内之浦を出て目的地に着くまでコンビニがありませんでした。
(2018年1月現在)
内之浦からドライブで2時間ほどトイレなどの休憩場所はないと思って行動したほうがよさそうです。
また、雄川の滝周辺は入り口に仮設トイレがあるだけなので、鹿屋側から向かう場合もコンビニを見かけたら立ち寄って済ませておいたほうが無難ですよ。

今のところ雄川の滝にはマイカーで行くのが一番便利でしょう。
昨年は南大隅町の周遊バスが雄川の滝まで連れて行ってくれたのですが、今年は運行していないようです。
詳しくは南大隅町のホームページをご確認ください。

さて、「雄川の滝入口」という標識にから曲がって、まずは雄川の滝遊歩道を目指すのですが、遊歩道駐車場までの道が狭い!
車1台分の幅しかないところが随所にあり、対向車がいた場合ドライビングテクニックを試されます。
平日に行った西郷徳利も、2度ほど対向車とすれ違いました。
幅が狭い箇所は本当に1台しか通れません。安全運転と譲り合いでいきましょう。

駐車場へ着くと、平日の朝ということもあり、止まっていた車は5台ほどでした。
早速エメラルドブルーの水を見に行きます!

雄川の滝

そうです。看板を見ても分かる通り、滝まではここから1.2kmほど歩かなければいけません。
往復2.4km。
絶景を見るにはそれなりの苦労が必要なんですね・・・

遊歩道入り口には歩きやすいように浦青壮年会の方がご親切に杖を用意してくれています。

雄川の滝無料杖

体力に自信のない方、足元が不安な方は迷わず杖を借りましょう。

というのも遊歩道はかなりの急勾配。砂利道・泥道と舗装された道が点在していてサンダル等で歩くには少し危ないです。

雄川の滝遊歩道

雨の日や道が濡れている場合は滑る危険性もあるので、ある程度しっかりした靴で挑んでください。


遊歩道を歩き始めると道の険しさとは裏腹に、雄川の綺麗な水に驚きます。
まさに「清流」

この日は温度差から蒸気も立ち込めて幻想的でした。

雄川の滝清流

こんな感じで景色を楽しみつつ展望台を目指します。



西郷どんオープニングで見たあの景色

遊歩道の終わりには、昨年設置された展望台があります。
突き出た2階建てのウッドデッキになっていて、滝壺を一望できます。

朝9時過ぎだったのですが、すでに4〜5人の観光客の方が景色を楽しんでいました。

そして!苦労してたどり着いた肝心の雄川の滝はというと!
雄川の滝と西郷徳利

綺麗なエメラルドブルーで迎えてくれましたー。
この滝は水が本当に独特の色をしていて綺麗です。「西郷どん」のオープニング映像も本当に綺麗ですよね。
滝壺近くが青いのですが、あれはどうして青くなるのか、よーく見てもよく分りませんでした(笑)

雄川の滝朝日西郷徳利

ちょうど撮影をしているときに、落差45mの滝の上から朝日がお出ましに。
大自然のパノラマは神々しいです。
西郷徳利雄川の滝



今回は比較的水の少ない時だったようですが、水が多いときは中州が水没したりもするようです。
遊歩道の途中には川の中にテーブルがあって少し降りれるのですが、清流。本当に清流です。
西郷徳利も清々しい空気を吸い込んでリフレッシュ。若干ツヤツヤが増して見えます。




「西郷どん」のオープニングは雄大な自然が印象的ですよね。
このオープニングでは、例年の大河ドラマと違いCGを一切使っていないそうです。
あれだけの広大な自然の映像を撮れる場所が何箇所もあるなんて、鹿児島は改めて自然が豊富だと気づかされます。

鹿児島市内を便利良く観光するのも楽しいですが、鹿児島の自然にも見どころたくさんです。
レンタカーでも借りてぜひ体感してみてください。


■次回 … #005 桜島・黒神埋没神社



■雄川の滝

・鹿児島県肝属郡南大隅町根占川北12222−2

コメント
2018/01/22 08:46 #003 イプシロンロケット3号機 打ち上げ

西郷徳利が行く鹿児島めぐりの旅


『西郷徳利が行く 鹿児島めぐりの旅』
今回は歴史から離れて、JAXA内之浦宇宙空間観測所のある鹿児島県肝付町内之浦で行われたイプシロンロケット3号機の打ち上げに行ってきました。

イプシロンロケット3号機は高性能小型レーダ衛星(ASNARO-2)を載せて昨年打ち上げ予定でしたが、延期されて今年の打ち上げに。
天候の影響もあり1日ずれ込んでの1月18日午前6時6分11秒に打ち上げられ、無事成功しました。
おめでとうございます。

今回は、素人目線たっぷりに「西郷徳利と薩摩半島からマイカーで、初めてのロケット打ち上げを見に行ってみよう!」でお送りしたいと思います。
(中央駅や霧島の温泉からバスで行ける見学ツアーもあります。マイカーでの見学場所は肝付町のホームページなどを参考ししてください。)


薩摩半島から大隅半島へ! いざ内之浦

イプシロンロケット3号機ピンバッジ


イプシロンロケットの打ち上げ時間は午前6時6分。
ロケット見学場は鹿児島県肝付町内之浦にあります。
鹿児島市内から錦江湾をグルっと陸続きに走って大隅半島に行ってもいいのですが、せっかくなのでフェリーに乗って行くことにしました。

安心・快適 24時間運航!車も積める桜島フェリーで大隅半島へ渡ります。
(桜島フェリーについて詳しくはこちら)

桜島フェリー


薩摩半島とはしばしお別れです。

目指す肝付町内之浦は、大隅半島の太平洋側にあります。

イプシロンの打ち上げ見学場は発射台の周りに何箇所かあります。
場所によっては事前申し込みの抽選になっているので、個人で見に行く場合は事前に必ず肝付町のホームページで確認してから向かいましょう!
西郷徳利は、抽選がなく収容台数の多かった内之浦漁港を選択。
桜島の外周を通り鹿屋市まで下って、大隅半島を横切るコースを選ぶことにしました。


桜島フェリーは約15分で桜島に到着。
時間も短く観光に便利なフェリーです。

降りてすぐのコンビニで店員さんに進む方向を確認し、ここからは内之浦まで約2時間半のドライブとなります。
深夜に快く鹿屋市までの道のりを教えていただきました。ありがとうございました。

ドライブの道のりはというと・・・
桜島から鹿屋市までは海沿いをわかりやすく行けますが、そこから肝付方面へ向かう道は街灯がほとんどありません。THE山道!です。
1時間ちょっとは暗いクネクネ山道とタヌキとのお付き合いになります。
車で夜間に向かう場合は、安全運転第一で行きましょう!


車もほぼ見ないまま内之浦漁港近くの国見トンネルを出るとようやく人による誘導が!
駐車場までは道のりにスタッフさんが配置されているので、迷わず車をとめることができました。



内之浦漁港到着!

内之浦漁港

800台収容の内之浦漁港は駐車場もほぼ満杯!活気がありました。
約2時間半ぶりに人をたくさん見れて、西郷徳利もホッとしたはずです。

親子連れも多く、イベントブースではイカ焼きやとうもろこし・お土産などの出店もありました。

会場は打ち上げがよく見えるように暗めです。
おかげで星がとても綺麗に見えていました。
打ち上げの少し前にはすべての照明が落とされるので、移動や場所の確保は注意しながら行ってください。



いよいよイプシロンロケット3号機打ち上げ!

見学会場では管制塔の声が流されていて、粛々とロケット打ち上げ準備が進んでいるのが臨場感を持って伝わってきます。

5分前からはすべての照明を落とすアナウンスがあり、これで見学会場は真っ暗に。
いよいよロケット打ち上げです。

では、ここからは
イプシロンロケット3号機と西郷徳利の一発勝負!のコラボを連続写真でお届けします。
今回の西郷徳利の旅の目的であり集大成です!

ロケット打ち上げの瞬間

ロケット打ち上げの瞬間


カウントダウンがゼロになると同時に西郷徳利後方の山の上に物凄い光が。
真っ暗だった会場が一瞬昼間のように明るくなり、初めはゆっくりと、次に物凄い勢いでロケットが上昇していきました。
西郷徳利もロケットと画面に収まろうと必死です。


ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げ第一段エンジンの燃焼
ロケット打ち上げの瞬間


バリバリという轟音とともに上昇を続けるロケット。
見えている光はイプシロンロケット第一段エンジンの燃焼です。

ロケット打ち上げの瞬間

ロケット打ち上げの瞬間


第一弾エンジン燃焼最後の方は西郷徳利もブレブレで追いつけません(笑)
肉眼では煙の筋がしっかり確認できました。
一旦光が小さくなって、ロケットはふんわり空に浮いたような感じで第2段エンジンの燃焼に移ります。
実はこのふんわりした時間にロケットの頭がパカーンと2つに割れ落ちて、衛星がむき出しになるらしいです。
想像できないですね。

ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間


第2段エンジンの燃焼が始まると、ロケットは別な方向へ。
オレンジ色の光がイプシロンロケットで、白い丸はこの日、東の空に浮かんでいたオリオン座のリゲルと思われます。
地球から見たら、オリオン座のまわりを飛んでいるようでファンタスティック!

ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間


西郷徳利も思い出したように画面へ。 第2段エンジンの燃焼は箒星のように見えました。
ロケットがほぼ同じ位置を飛んでいるように見えるので、地球と宇宙の大きさを感じる不思議な光景でした。

ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間
ロケット打ち上げの瞬間


西郷徳利もロケットの軌道を確認!
第2段エンジンの燃焼が終わると、肉眼ではロケットの位置が確認できなくなりました。
もう見えなくなるのかと寂しさも感じます。


2時間半かけてやってきて、ロケット打ち上げ自体は10分ほどで終わってしまうのですが、これはその場でしか体験できないものだなと実感しました。
会場では、打ち上げの瞬間にどよめきが上がり、「打ち上げ成功」のアナウンスでは自然と拍手が沸き起こっていました。
同じ時間・空間を共有していたので感動的でした。
初めてのロケット打ち上げでしたが、貴重な経験をした徳利になったのではないでしょうか。

さて、ニュースにもなったのでご存知の方も多いかと思われますが、夜明け前のロケットの残した煙がとても綺麗で思わず撮ってきました。

ロケットの残した煙雲


この煙は、ところどころ色が違って赤かったりして、とても幻想的でした。
「今までの打ち上げでも見たことがない」と言われる方もいたらしく、いつも同じというわけではないんですね。
本当に貴重な体験をした徳利です。

太平洋からの朝日


ロケット打ち上げ成功を喜びつつ、終わってしまった寂しさも感じつつ、薩摩半島へ帰ります。

帰りは晴れていたこともあり、ドライブ日和で景色がとてもきれいでした。

垂水港鴨池フェリー


帰りは行きとは別の鴨池・垂水フェリーで。
こちらは垂水市と鹿児島市を結ぶ定期航路で、約45分で鹿児島市に到着します。
もちろん車も載せてくれますよ!
(鴨池・垂水フェリーについて詳しくはこちら)

久しぶりに噴火した桜島を見つつさよなら大隅半島。

垂水港鴨池フェリー


フェリーでは名物の南海うどん・一番人気のかきあげうどんをいただきました。
かきあげは殻付きの小エビと野菜がぎっしり!で美味しかった。
鹿児島ではフェリーに乗ったら食べる定番の味です。


第3回目の西郷徳利の旅は、イプシロン打ち上げという今までとは違う形になりました。
明治維新から150年、鹿児島でロケットを打ち上げていると知ったら、西郷どんもさぞ驚くのではないでしょうか。

錦江湾と西郷徳利


■次回 … #004 雄川の滝



■JAXA内之浦宇宙空間観測所

・鹿児島県肝属郡肝付町南方1791-13
※見学のご案内はこちら

コメント

12件の記事

カレンダー

<< 2018年7月 >>

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

タグ


RSS 1.0
RSS 2.0
Atom
ページの先頭へ